母の3度目のがん治療〜看護師の自分が思うこと〜

母が初めてがん告知受けたのは42歳のとき。入浴中に左乳房にしこりが触れると言ったのが始まり。近くの少し大きい病院で乳がんの告知。中学生の自分は泣くしかできず、先生に険しい表情でなぜ泣くのかと言われたの今でも覚えています。がん=死 なんとなくそんな漠然とした思いが私にはあったと思う。手術したあと、抗癌剤治療が始まり、吐き気で苦しむ母の姿はなぜか一場面だけ記憶に残っている。床に横たわり、吐くものもないのに嗚咽を繰り返す母を一生懸命立つように、起き上がるよう声かける父の悲痛な叫び。その一場面だけは忘れられない。目撃しちゃいけない気がして、多分静かに泣きながら眠ったのだと思う。

母の2度目のがんは乳がん告知から約5年後。卵管がんだったと手術後の病理結果で明らかになり、こちらも抗癌剤をやった。このときにはがん治療も進化したのか、吐き気はあまりなく、脱毛はしたけど、以前と同じ母だったように思う。お腹に大きな傷が残り、帝王切開や盲腸の既往の影響もあってか、むしろその後の腸閉塞がかなり大変だった思い出。その頃の私は看護学生であり、どうしてもっと早く気づいてあげられなかったのか、自分をかなり責めた。保存治療でなんとかその後も再燃なく過ごしているが、今もたくさんお薬を飲まないといけない状況は変わっていない。

学生である自分は勉強に部活に恋愛に、かなり目まぐるしい毎日送っており、母の闘病は数コマずつ覚えているのみにとどまる。あの時をどのように感じ、どうやって乗り越えたのか、覚えていない。多分いっぱい泣き、周りにいた友人や先生に力をもらって乗り越えたんだと思うが、脳が都合よくあの辛い過去を抹消してくれたのか‥分からない。

61歳になろうとしている母は再び、健側乳房にしこりがあると報告してきたのが9月中旬頃だった。4月に定期検診受けていて、そこでは異常がないの知っていたからそんなばかなと気にもとめなかった。数日経ってからかかりつけ医に連絡し、対応の相談したら受診しないことにはとのことだった。翌日に母が仕事を休み、かかりつけ医に受診。4月にはない2cm弱のしこりがはっきりとエコーにうつっていると。先生は4月にはないのに、と繰り返し言ってくるが、なんと言おうとしこりがあることは明白で、急速な増大は悪性しか考えられない。一刻も早く手術してもらいたい、そんな気持ちでいっぱいだった。

10月1日に初診患者として私の職場に受診し、精査が始まった。可能な範囲で早いピッチで検査組んでくれた先生方には今も感謝している。しかし、方針が決まるまで約1ヶ月。焦る気持ちに留めをアスカのうような押しつぶっされそうな日常な忙しさ。自分の不安や不満を信頼できる先輩に聞いてもらい、仕事で他のことを考え現実逃避していた。考え出すと止まらなくなる、そして無力な自分に嫌気がさす。しかし後悔はしたくない。自分でできることは全部しようと思った。母のために そして自分のために。

抗癌剤治療が始まったのがちょうど今日から2週間前。一旦治療開始となれば後は突っ走るしかない。今は不安よりも、見守るしかないじれったさはある。しかし、治療終わった後は母よりも父の方が疲れているのが印象的だ。病院にいるだけで気が滅入ることだろうし、より近くで見守っているからこその辛さはあるだろうと思う。笑いながら、どっちが抗癌剤やったのか分からないねと言ってみたが、ただにっこりとしただけで、それ以上は言ってくれなかった。そういうつつきが苦手な父ではあるが、言い返すパワーがなかったのだろう。無理もない。病院は1日がかりだ。患者さんだけじゃなく、付き添いの家族をもっと労ろうと思ったそんな1日だった。

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